台風15号

40年前・・・

 今回の台風15号、館山測候所は9月の瞬間最大風速更新してますが、年間記録は40年前10月に出してます。

それ以来と言う事ですね…今回地区の作業小屋の屋根が飛んでしまったのですが、この小屋は全部地域の入会地の杉でできていたのでした!切り出したのは約40年前。その頃までは山を使って生活していたのですね…施設・インフラの充実度も今とは違っていたのだとは思いますが、40年前の台風被害について記憶している人はいませんでした。

 ただ、1984年に小屋を建てた人々がまだ健在で、約10坪の作業小屋の屋根はアッという間に復旧!みかんの収穫期には稼働できそうです

 

 温暖化と森林飽和

 今回幸いにも人的被害はほとんどなかったのですが、電気・水道等インフラの被害が甚大です。

 原因として考えられるのは温暖化と森林飽和でしょうか??双方、化石燃料の利用が原因出で起こっていることが皮肉ですが…本来ヒトが利用すべき自然が凶器にもなりうることを痛感しました…地球温暖化が問題となる以前、東日本はそうめったに強力な台風が来るものではなく、この半世紀でひとまわり大きくなった山が将棋倒しになり、特に杉檜の植林地が、ひどくやられています。

 これが九州あたりだと、小出し頻発であったものが、房総では半生紀分まとめて倒れたのではないでしょうか?また房総の山は懐が深いと言うか?低山帯の森としては有数の容量を持っていると思います。このことが復旧を困難にしています。これだけの森が使われなくなると言うことは、やはりたいへんなことだと感じました。

 蛍まいライスセンターは、停電五日目で電源復旧。電源回復車両、最遠は青森からまで派遣されてきて、三芳地区内では全面復旧まで約二週間かかりました。

 

被災小学生

 小学生は休校五日、新築のお宅はオール電化も多く、うちは孤立しているにも拘らず、休校中避難民が(笑)冷蔵庫の中身も孤立した三軒持ち寄ると、豪華な食卓となり、普段食べられないものをたらふく食べて、廃材片付けに大活躍してくれました。飯、風呂も炊けるようになって、自然侮るべからずと言う経験を小学生のうちに出来たことは、いつか大きな財産になってくれるのでは?と思っています。

  

 挙家離村

 40年前、在籍していた四国の小学校では社会科の授業で「挙家離村」という言葉を教えていましたが、房総ではあまりそういうことはなくて、最後までかなりの山奥まで独居老人が家を守って来ました。

 こういうことができたのも、災害が少なかったおかげだったのだと、今回は痛感させられました。この半世紀の間に育った木々が一気に倒れ、かなりの山奥まで人が住めていたことが被害を大きくしたと思います。

 二次災害を除けば人的被害はほとんどなく、奇跡的な不幸中の幸いと言える状況ですが、今後は房総でも「挙家離村」が増えると言うことですね…(K・W)

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です